2008年10月1日水曜日

女装フェチ

女装フェチにいつからなったのかは覚えていません。
たぶんマ○ター○ーションを覚えてから2,3年以内のことだと思います。
いろいろ興奮するやり方を模索しているうちに、姉の制服を着てみたのが始まりだったと思います。3コ上の姉は私をよくからかったり、ちょっかいを出したり絡んでくる人で、私は口下手ですのでロクな受け答えもせずにうっとうしそうな応対をしていましたが、彼女は根はいい人で、私は正直姉のことが好きでした。
中学生のころ姉が私の不在時に勝手に部屋に入っていたのは知っていました。
男のことに興味があったのか、暇つぶしに弟の部屋のエロ本でも探していたのかわかりませんが、とにかくちょくちょく入っていたようです。姉はあっけらかんとしていて明るいくせに、慎重でかしこい性格だったので、証拠という証拠は残していきませんでしたが、匂いだけは隠せなかったため、部屋に入った日はすぐにわかりました。
私は部活でテニスをしていて、厳しい部だったので部活動が終わった後もランニングを命じられており、帰宅後、毎日5キロほど走りに出かけた隙に、姉はよく私の部屋に入っていました。
ときどき、母親が勝手に部屋に入ることもよくありましたが(過干渉タイプの母親で姉と私は母親を嫌っていました)、母親は私の部屋に隠してあるエロ本をわざわざ見つけ出して机の上に置いておくような狂った女でしたし、姉とは匂いが違うため、姉が入ったのか母親が入ったのかはすぐにわかりました。
3つ離れた姉は、私が中学生のときちょうど高校生で、化粧やおしゃれが好きでした。私から見てもかわいかったのですが、彼氏はいないようでした。姉が小学校の4年生のときまでは、幼馴染のお兄さんと仲良しで、将来結婚するんだろうなくらいにお互いを必要としていたようですが、お兄さんは父親の仕事の関係で引っ越してしまいました。彼は無口で愛想のない私にもよくしてくれましたし、姉にも優しかったので私も好きだったのでとても残念だったのですが、姉は彼が引っ越してしまってからも今までとなんら変わらない様子に見えました。

私が中学2年のとき(姉は高校2年)、両親が結婚何周年とかで二人で旅行に行った日の夜のことです。姉が自分の部屋に呼びました。化粧がうまくいかないから実験台になれみたいな用事でした。私は女装に興味はないし何考えてんだと言い、断りましたが、姉もなかなか引き下がってはくれず、奇妙な時間が始まりました。
当時私は学校でもすぐにボッ○してしまうほど敏感だったため、姉に5分待ってといい、一度部屋に戻り、目立ちやすいジャージからジーパンに着替え、姉の部屋に行きました。
化粧をしている間、姉は妙にはしゃいでいました。もともと私は女顔で、文化祭の出し物を決める会議のとき教師に「お前女装なんか似合いそうだな」とからかわれたこともありました。
しかし姉のメイクが下手なのか、私の肌があまりキレイじゃないからか、髪が短いからなのか、出来上がった顔はヘンでした。
しかし姉は「かわいい」と言い、このままじゃ女に見えるから上着脱いでよと言いました。なぜか私は逆らえずに、脱ぐことにしました。そしてさらに意味不明なことに今度は「かわいいからスカート履いてみて」と言い出しました。私は言われるままスカートを部屋にもって行き着替えていきました。全神経を集中させてボッ○を抑えていたので、わたしの○ニスはおとなしいままでした。
メイクをしてスカートに上半身裸というわけのわからない格好で、私はメイクの続きを受けました。アイメイクのときに目をつぶっていたときに姉は私の両腕をそっとつかみ、チ○ビにキスをしました。私はあまり驚きませんでした。正直に言うと期待していましたので、すごい高揚感でした。
姉の唇はゆっくりと優しく、無言のまま私の上半身のいろんな場所を這っていきました。私はときおり敏感に反応しながら「この人彼氏もいないくせにどうしてこんなことができるんだろう」などと考えていました。ボッ○ももう隠せません。これ以上ないくらい激しく硬くなりました。姉は体勢を変えるふりをして私の股間に手を這わせました。どうにかなりそうな、おかしくなりそうでしたが、主導権を握っているのはあくまでも姉でした。
姉の体温を感じて、女性の温かさとやわらかさにある種の感動を抱いていたそのとき、姉はふと体を離し、アイシャドウの続きを始めました。
メイクが終わると、姉は何事もなかったかのように、「メイク終了~ありがと!」と言いました。インスタントカメラで写真を取り、メイク落としを渡し、使い方を教えてくれました。
私は適当な返事をして、メイクを落とし、スカートを脱いで姉に返し、そのまま自分の部屋に戻りました。

私がその夜、なかなか寝付けずにマ○ターベーシ○ンを何度かしたのは言うまでもありませんが、翌日の朝、姉はやはり何事もなかったように眠たそうに私に挨拶をしました。

私たちは軽く朝食を取り、そのまま、いつものようにそれぞれの学校に行きました。

2008年9月25日木曜日

女装フェチ 絵を描く そして女装

中学の頃の私は、絵を描くのが好きでした。美術の成績は5段階中4か3でしたが、私はクラスの誰よりもうまいと思っていました。テストの点数もよかったのですが、通信簿などは、実力外の部分で教師の操作があることを知っていましたので、何も感じませんでした。

小学生の頃からマンガの絵をよく模写していましたが、想像だけで自分のオリジナルキャラクターを描くようになったのは中学に上がってからです。

女の子の裸が最も描きたかったのですが、なかなか満足のいくようには描けませんでした。まず、顔がうまく描けないという壁があり、その次に、胸などの丸いラインが描けないのに悩みました。
そして奇跡的にその二つがそこそこうまく行っても、全体のバランスが美しくなってくれません。私は自分の絵でオ○ニーできるくらい、いい絵が描きたかったのですが、鉛筆を持った私の手は結局その期待に応えてくれることはありませんでした。

私は、姉の部屋で前に一度されたことがあるように、口紅を塗り、スカートを履いてみました。仮病で学校を休み、秋の孤独な風景と空気にくつろぎながら、ひとりで寝転がってぼんやりいろいろと空想した後、女装に取り掛かりました。

今、だれかが帰ってきたらどうしよう? そう考えると恐ろしいほどドキドキしました。
もし母親にバレたら殴り殺して自分も死ぬ、姉にバレたら素直に正直に話すけど相当年老いるまで今のように仲良くはできないだろう、父親にばれたらどうしよう?父親の反応次第だな、

そんなことを考えながら、結局ばれることはありませんでした。
というより、誰かが帰ってくることを想定して、常に耳を澄ませていたし、できるだけすばやく普通の状態に戻れるようにスタンバっていたので、帰ってきても、間一髪、間に合っていたのでした。

2008年9月23日火曜日

大学で一人暮らし

私の父と母は普通の人でした。
外ヅラがよく、家ではよくケンカをしていましたが、結局のところ愛し合っていたのだと思います。

父親はそれほど悪い人間ではありませんでしたが、学歴がなかったので、社会人として苦労していて、家庭でそのコンプレックスを解消しようとしているようでした。
母親は頭がひどく悪く、性格も非常にひねくれていたため、父親のそんな感情を受け止めることはもちろんできません。
結局姉と私がそのとばっちりを食う形になりました。
父親は下っ端根性が体にこびりついていたため、なにか腹の立つことがあったりすると、私たちを言葉などでねちっこく責めました。
たとえば、姉は成績がよかったのですが、小学生の姉にわざとわからない漢字を質問し、書けないと鼻で笑いました。
テレビのクイズ番組か何かで金(きん)の属性を問う問題がでているときに、たまたま2階から降りてきた私に「おい、金の元素記号わかるか?」と聞き、突然のことでびっくりした私が「2秒後くらいに、au」と答えると、「おせーよ」と罵りました。

父親と母親は二人ともバカなのですがクイズ番組が好きで、夕食の時間にテレビをつけてクイズ番組を見る習慣がありました。回答者が珍回答をすると母親は「バカじゃないの。信じられんわ。」といい、父親は「しょうがない、バカなんだから。」などと言っていました。

私と姉は、小学生のころからクイズ番組がどれほどくだらないものか気づいていましたし、それを見て喜んでいる両親を軽蔑していました。

姉は高校を卒業し地元の大学に行ったものの、それまでにアルバイトで貯めたお金で一人暮らしを始めました。両親は反対していましたが、私はもちろん姉を支持しました。
私は高校生活の中盤からは女装に夢中で、他の世の中のいろいろなことに無関心になっていました。ほとんどなんのモチベーションもなく受験勉強もしなかったので①浪しました。
浪人しながらアルバイトでお金を貯めて、地元から離れた大学を受験し、一人暮らしを始めました。

両親はひどく反発しましたが、私は強引に押し通しました。話し合いを有利にもっていくために地元のどの大学よりも偏差値の高い大学を受かるまでの学力を身につける必要があり、かなり勉強しました。

自分のことを知っている人間がひとりもいない場所で生活するということは、当時素晴らしいことのように感じました。女装が気兼ねなくできるというメリットもありますし、何より、この気が狂いそうな実家での生活から逃れられる。それは私の人生の本当の始まりのような予感がありました。

そして、一人暮らしを始めてからは、実際それまでの人生のどの瞬間よりも私の心は落ち着きました。