2008年9月25日木曜日

女装フェチ 絵を描く そして女装

中学の頃の私は、絵を描くのが好きでした。美術の成績は5段階中4か3でしたが、私はクラスの誰よりもうまいと思っていました。テストの点数もよかったのですが、通信簿などは、実力外の部分で教師の操作があることを知っていましたので、何も感じませんでした。

小学生の頃からマンガの絵をよく模写していましたが、想像だけで自分のオリジナルキャラクターを描くようになったのは中学に上がってからです。

女の子の裸が最も描きたかったのですが、なかなか満足のいくようには描けませんでした。まず、顔がうまく描けないという壁があり、その次に、胸などの丸いラインが描けないのに悩みました。
そして奇跡的にその二つがそこそこうまく行っても、全体のバランスが美しくなってくれません。私は自分の絵でオ○ニーできるくらい、いい絵が描きたかったのですが、鉛筆を持った私の手は結局その期待に応えてくれることはありませんでした。

私は、姉の部屋で前に一度されたことがあるように、口紅を塗り、スカートを履いてみました。仮病で学校を休み、秋の孤独な風景と空気にくつろぎながら、ひとりで寝転がってぼんやりいろいろと空想した後、女装に取り掛かりました。

今、だれかが帰ってきたらどうしよう? そう考えると恐ろしいほどドキドキしました。
もし母親にバレたら殴り殺して自分も死ぬ、姉にバレたら素直に正直に話すけど相当年老いるまで今のように仲良くはできないだろう、父親にばれたらどうしよう?父親の反応次第だな、

そんなことを考えながら、結局ばれることはありませんでした。
というより、誰かが帰ってくることを想定して、常に耳を澄ませていたし、できるだけすばやく普通の状態に戻れるようにスタンバっていたので、帰ってきても、間一髪、間に合っていたのでした。

2008年9月23日火曜日

大学で一人暮らし

私の父と母は普通の人でした。
外ヅラがよく、家ではよくケンカをしていましたが、結局のところ愛し合っていたのだと思います。

父親はそれほど悪い人間ではありませんでしたが、学歴がなかったので、社会人として苦労していて、家庭でそのコンプレックスを解消しようとしているようでした。
母親は頭がひどく悪く、性格も非常にひねくれていたため、父親のそんな感情を受け止めることはもちろんできません。
結局姉と私がそのとばっちりを食う形になりました。
父親は下っ端根性が体にこびりついていたため、なにか腹の立つことがあったりすると、私たちを言葉などでねちっこく責めました。
たとえば、姉は成績がよかったのですが、小学生の姉にわざとわからない漢字を質問し、書けないと鼻で笑いました。
テレビのクイズ番組か何かで金(きん)の属性を問う問題がでているときに、たまたま2階から降りてきた私に「おい、金の元素記号わかるか?」と聞き、突然のことでびっくりした私が「2秒後くらいに、au」と答えると、「おせーよ」と罵りました。

父親と母親は二人ともバカなのですがクイズ番組が好きで、夕食の時間にテレビをつけてクイズ番組を見る習慣がありました。回答者が珍回答をすると母親は「バカじゃないの。信じられんわ。」といい、父親は「しょうがない、バカなんだから。」などと言っていました。

私と姉は、小学生のころからクイズ番組がどれほどくだらないものか気づいていましたし、それを見て喜んでいる両親を軽蔑していました。

姉は高校を卒業し地元の大学に行ったものの、それまでにアルバイトで貯めたお金で一人暮らしを始めました。両親は反対していましたが、私はもちろん姉を支持しました。
私は高校生活の中盤からは女装に夢中で、他の世の中のいろいろなことに無関心になっていました。ほとんどなんのモチベーションもなく受験勉強もしなかったので①浪しました。
浪人しながらアルバイトでお金を貯めて、地元から離れた大学を受験し、一人暮らしを始めました。

両親はひどく反発しましたが、私は強引に押し通しました。話し合いを有利にもっていくために地元のどの大学よりも偏差値の高い大学を受かるまでの学力を身につける必要があり、かなり勉強しました。

自分のことを知っている人間がひとりもいない場所で生活するということは、当時素晴らしいことのように感じました。女装が気兼ねなくできるというメリットもありますし、何より、この気が狂いそうな実家での生活から逃れられる。それは私の人生の本当の始まりのような予感がありました。

そして、一人暮らしを始めてからは、実際それまでの人生のどの瞬間よりも私の心は落ち着きました。

2008年9月20日土曜日

女装に関して面白い記事を見つけたので引用しておきます。

性的興奮と女装

女装によって性的興奮や性的快感が齎されることがある。女性の衣類や装身具などを身にすることで性的興奮が起こる場合は、女装と言うより、衣類・装身具への性的フェティスズムと言うのが近い。何故、性的興奮が生じるのかは、様々な性的嗜好が存在することから見ても分かるように、個人ごとで事情が異なる。

一方、フェティシズムとは別に、男性であることの重責からの解放という意味での女装や、ジェンダーの多様性を自覚するが故に女装を選ぶ場合も性的興奮は生じる。これらはまた様々な個人的な事情があると言える。例えば、男性の衣類の状態では十全な自己に対する自信や確信が持てないのに対し、女装することでより本来的な自己が確立されたとの感覚や、心理的な安定から性欲の自然的な発動が生じる場合もある。

意識的には自己が男性であると疑いなく確信を持つ人の場合も、女装によって、エキゾティックな感覚が生まれそこから性的興奮が導かれるという。

文化としての女装

衣装のファッションは、起源的に多様である。性愛においても、同性愛や少年愛、少女愛が社会のある階層の人々のあいだでステイタスの条件として流行したことがある。早婚の意味の少女愛は、ファッションというより、実際的な必要性から生じた習慣とも言えるが、日本の平安盛期における『源氏物語』が伝えている光源氏の少女愛趣味は、これは一つのファッションであった可能性がある。

少年、青年、また成人男性が、強靱な精神と肉体を持ち、荒々しい言動や挙措であることが尚ばれる社会や時代があるが、他方で、女性的な男子が社会的に理想とされるような社会や時代の文化もある(日本の平安時代の貴族は、女性的であることが理想でもあった)。また奇異な行動や服装がもてはやされる時代もあり、女装やそれに類した行動様式が美しいとか望ましいとか考えられる文化のファッションも当然存在する。

ここから「ファッションとしての女装」というものがまた考えられる。1960年代から70年代にかけて、フラワームーヴメントが欧米にはあったが、男性が女性的な身なりをすることが流行した。グラムロックやパンクファッションなどでも、男性が派手な衣装をし、ルージュを付けるなどがあった。これはヴィジュアル系と呼ばれるファッションにも通じている。またメンズ・スカートなども、ファッションとしての女装の面が強い可能性がある。

以上、ウィキペディアより引用